「余生」の生き甲斐

余生という言葉は好きではないが、男の平均寿命81、6才なら、それを超えれば余生、「残余の生命」と考えても良いのではないかと、も思う。

7,8年前、福田か樫山地区、お寺の住職から余生をテーマにした法話を聞く機会が有り曰く、人生に余生などない…が結論に我が意をて拍手した記憶がある。

住職等は人の生死を生業にして仏教伝来の1300年前から黙々~木魚とチンを叩き脈々と暮らして来た訳でそう考えるのは当然。

私の場合「時は命なり」の人生訓の中で培ってきた絶体的信条、100まで生きても余生など無く、多分その段階でも何かしてるだろう。

身体は畳1枚のスペースであつても何かしてる、考えている。若しかすれば妄想の世界で生きてるかも知れないが・・・

生き残り組の友人達にどんな暮らしをしてるのか、会話に中で話題になる。

暇を持てあましてる…人間がなんて多い事か(>_<)

俺に手を貸してくれ、と頼んでも暇な人間ほど腰が痛い、足がいたし、息苦しい云々

で非協力的で、忙しい人間ほど元気で協力的。

家で横になってるのが、一番気楽で身体も楽なのは誰しも同じだが生活感、大きくは人生観の相違、長い年月の中で健康状態に置き換えても天地の開きが出てくる筈なのに。

勿体ない暮らしをしてる、とつくづく思う。自滅への坂道をひた走ってる。