「吞舟」の生きる道。

我家の庭の一角に一枚の石板がある。

若い時に触れた「吞舟は支流で泳がず…」を私の人生訓にして「吞舟」を私の号にした。号の上に祈念の銘言「百年無人生」が刻字されている。

昔々のはなし…何処で如何したものか、祖母が五島の資産家と再婚、結果、私も母に連れられ大阪から五島に移住、3才から18歳まで五島で暮らす事になる。頑迷を地で行く爺さんと近くで暮らす事に、血縁の無い石頭の爺さんが書き残した「人生無百年 陽春 老鶏」の木板を死後見つけ、その刻字が私の人生の親柱となり、吞舟の魚‥‥はその支柱となった。

誰も寄り付かない頑迷爺爺は70代で死亡、そんな彼が「百年無人生」肝に銘じ生きていたかと思えば親近感が沸く、同じ年代で諸々の事を語り合えば共鳴できる部分もあったろう、と今懐かしく....思う。

あの日から40年余の月日が流れ、あの時、心に刻んだ生き方が出来たか如何か。

今、人生総括の時を迎え自らに問い自らに答えを求め、改めて「支流で泳がず?」は正道で生きるを目指す事になる。

本流で生きる指針は「正義、大儀、道義」が物差し、100点は頂けないにしても75点位はGet出来た、自己採点。

私を知る人々の評価と多分異なるだろうが、自分の本意は自分しか分からない。

残り少ない人生、命の一分を100%完全燃焼して昇華させたい、と夕暮れに窓越しの桜花を見つつ思う。