2022-01-01から1年間の記事一覧

岐路はどこだった(4)

1年間の雲助家業だった、東海道53次の宿場町を全部、横目に走り高度成長時代の物流業界の片棒担いで地理と物流現場の最前線を垣間見れた事はオマケの様な収穫。 当時は長距離輸送の運転手は蔑称、雲助…(謂れは昔の籠担)、峠には山賊が居り、その殆どが一皮…

岐路はどこだった?

N運送に入社、その日から東京~大阪間の深夜定期のハンドルを副運転手の立場で乗車、と言っても交互運転で立場は同じ。 否、むしろ荷物の積み下ろし、燃料の補給、伝票のチェック等積み込みに入る。10トン車に大小様々な荷物を一つ一つ荷崩れがしないように満…

岐路はどこだったか(2)

名古屋で3年、営業の勉強をした。 勤めた先は大阪本社の名古屋営業所、全社で100名規模の中小企業、営業から納品、修理まで何でも…販路は東海3県から信州迄、至る所~走り廻り社会勉強もさせて頂いた。 高校出たばっかりの田舎の小僧に良く営業範囲を持たせ…

岐路はどこだった (1)

この年齢まで生きて暮らし、将来が短い分だけ過去と向かい合う時間が長いような気がする。 健康であれば、長生きもせねばならず、その為にいろいろ心準備をせねばならず目的のない余計な生き方は余りしたくはない。 私の人生で自分の意志で生きて来たのは18…

「吞舟」の生きる道。

我家の庭の一角に一枚の石板がある。 若い時に触れた「吞舟は支流で泳がず…」を私の人生訓にして「吞舟」を私の号にした。号の上に祈念の銘言「百年無人生」が刻字されている。 昔々のはなし…何処で如何したものか、祖母が五島の資産家と再婚、結果、私も母…

最後のセレモニー

昨日見た夢に死んだ兄弟が出て来た。 最近、よく亡母や亡兄達の夢を見る、彼岸に墓参を忘れ憤慨、夢に現れたのか。 (墓参はその数日前に済ませており、恨まれる筋合いはないのだが…) 内容はハッキリ覚えてないが悪い夢でなく、少年時代と壮年時代が混合、…

11回目の3月11日

今日、11回目の3.11、昼過ぎ3時ごろ防災無線のサイレンが鳴った。 振り返れば11年前の今日、年度末を控え米子の取引先に工事引き渡しに行った帰りに居住地の知人から連絡が有り地震と津波、後日、東日本大震災と云われた大災害を知る。 車で安来辺りを走行、…

「余生」の生き甲斐

余生という言葉は好きではないが、男の平均寿命81、6才なら、それを超えれば余生、「残余の生命」と考えても良いのではないかと、も思う。 7,8年前、福田か樫山地区、お寺の住職から余生をテーマにした法話を聞く機会が有り曰く、人生に余生などない…が結論…

現住所は何処....(*_*;

樹々の若芽がボツボツ見受けられ春の息吹を感じる 世の中はコロナ~オミクロン、ウクライナにロシア軍の攻撃が始まり、首都キエフに迫った、と日々戦況が報道され益々深刻さが増している。 NATOも欧米も歩調を合わせ非難、夫々が国内問題に抱え、ウクライナ問…

「果てる…」という事

終末期になると様々な事が頭をよぎる。一番気になるのは自分に「何時お迎えが来るか」かという事だろう。 平均寿命を過ぎれば後はオマケと自分に聞かせて来たが、今日まで来たが、今その段階でマダマダ生きれそうで、道半ばの仕事も2,3つじゃなく6,7件、…

世界から日本を見る

ロシアによるウクライナの侵攻が開始され、今日で3日目。 事態はロシア軍が首都キエフの接近、陥落寸前で停戦協議がベルルーシで始まった。 昨日、ウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦を国民に呼びかけ、今日は夕陽が沈む前に翻意、停戦を申し出た。翻…

残された時間…

久しぶりのブログ、もう書くのを辞めようと決めていたが、待てよ今まで書いたブログが無駄になり、処分するのも勇気がいる。 いっその事、自費出版で本にするか、そんな誘惑も自分の中であり、先の事は見えないが私の信条は最後の1分までベストを尽くす事に…