11回目の3月11日

今日、11回目の3.11、昼過ぎ3時ごろ防災無線のサイレンが鳴った。

振り返れば11年前の今日、年度末を控え米子の取引先に工事引き渡しに行った帰りに居住地の知人から連絡が有り地震津波、後日、東日本大震災と云われた大災害を知る。

車で安来辺りを走行、ラジオもテレビも走行中はOFFなので携帯に連絡がある迄知らなかった。

大惨事を知ったのは殆ど長崎に帰つて来てからで驚嘆したものだ。

当時は議会も選挙前で多忙、仕事も多忙で、全国から続々と支援ボランテアが現地入り私もハヤル気持ちを抑えて経過を報道に頼った。

その後、4年経過、カリタスジャパンのボランテアとして最大の被害地、岩手県大槌町

に行き、大槌川の川べりにひまわり植栽と仮設ハウスに激励訪問を10日間させて頂いたが実際は現地被災者の方々に元気と勇気を頂戴した、兄弟家族、家財産を津波被害にあいながらご高齢のおばあちゃん達が肩を寄せ合い暮らしている姿は神々しく見えた。

いつ来るか分からない自然災害は対応が難しい、日本は世界一自然の美しい国、反面~自然災害の恐ろしい国でもある

大槌の丘の上にあった「風の電話」多分今もそのままだろうが私の写真帳の中には保存されてもいない、元々あまりにも痛ましくシャッターを切れなかつた。

11年の年月が流れ、東日本大震災を忘れるな!

掛け声があちこちから聞こえて来る。

現地のTV報道でインタビューを受けた被災者コメントが胸を打った。

皆さんは忘れるな、と仰るが私達は思い出したくもない、早く忘れることが出来るなら忘れたいっ…悲痛な声である。

互いに業という宿命を背負い、生きてる間は逃げられない宿命。

人間は生まれて来た以上、死ぬまで生きて行かねばならぬ。

それが人間に課せられた宿命という名の使命だろう、ザッ~とはいかん。