宿命は人も樹木も。

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JICA(国際協力機構)の事業提案書 本日提出する。

提案する申請者側もアドバイス役の担当者も書類作成に多大な苦労した、本当にご苦労な話だが枝葉の部分に時間と頭を費やした。

提案事業が採択されれば、即 担当の評価になる要素が有り真剣勝負の様相があるが、深夜、部屋に篭り黙々と書類を作ってると自分がしてる事に疑問が湧いてくる、単純に奉仕活動絡みだけでなく、自分が今、生きている事、知人の生き方、果ては見知らぬ他人の生き方まで無意味に見えて来る、現在をなり振り構わず生きてる人間が多いがそんなに我武者羅に生きて何に成るか、と考える。

最後は畳1枚の上で暮らす事を思えば今している事の全てが無意味な事かも知れないが、そうでないかも知れない。

時津町の背後に鳴鼓山という里山がるある、今の時期、里山の中腹に枇杷の実が枝を垂らして鈴なりである。

枇杷の木畑は殆ど手入れが為されず枇杷の実は摘果されず放置され、何となく憐れみを感ぜずにおれない。

2,30年前は畑の主も若く枇杷栽培を生業にして生活した事であろうが、時が過ぎ時代が変わり自分も老境に入り先々を考えての決断をした事か。

時代と共に「夢と現実を仕分け」する生き方は賢明な事である、総理が伝家の宝刀を抜いて7月の参議院選挙と合わせ衆院解散、同時選挙を挙行する、かもと誰が流してるのか馬鹿げた風評が吹いてくる。

いくら総理が盲目でもそんなに国民を愚弄する様なことはしない、天に唾を吐くような事をすれば、彼は歴史に汚名を残す男に成る。

自民党時代、麻生副総理、安倍総理 この国を動かている二人に面会する機会を得たが

何の感動、感銘も抱かなかった。

彼等も又、鳴鼓山中腹の放棄された枇杷の木同様、過去の遺物になる宿命。

令和元年 新しい時代の新しい人物を待望する。