「老いる」という事


一月も下旬に入ると寒さが一段と厳しく、今冬は2,3日前から寒波が入り東京は−4℃まで下がり電車や車両が交通障害を起こし通勤が混乱しているようだ。
安全対策、防災等しっかりしているように聞かされているが、気候のチョットとした変動でこの状態では
世界一安全な国際都市東京の株が落ちる。
大都会も超過密で許容力が喪失してきているのではないか、大都市として円熟期から老化が始まり都市機能が衰退期に入って来たのではなかろうかと疑念を持つ。
人間も都市も自然も形を有するモノは全て有機体で老化衰退し落ちる処まで落ちて蘇生の輪廻が繰り返されるのではなかろうか。
喜寿を目出度く迎え「人生」を多々考えさせられている、ほとんど毎日朝夕考えている。
特に年を取るという単純な事について考える、年を取るという事は死期が近づいた事で有り、生まれてくる前の世界に帰る時期が近づいて来たという事、家族友人知人との別れが其処まで来ている事である。
至極、簡単明瞭でこれだけは万人に共通した宿命、金持ちも貧乏人も男女を問わず定められている。
昔の人は「死に恥はかけない」ときれいな死に方を求めたが現在は「生き恥、死に恥」構うもんかで昔流にいえば晩節を汚し捲くっている。
私は生き恥は挽回の余地はあるが、死に恥は挽回できない、従って生きてる内に死に恥リスクを解消し安心してあの世に行きたいと思っている、その辺が私のこれからの作業。
人間が皆、同じような死生観を持つて生きていれば平和で豊かな社会が出来るのだが、現実は老成が化石化し餓鬼道並みの生き方をして社会を賑わしている御仁が多い、何が原因か。
人生百年時代は政権の謳い文句で聞こえは良いが恐怖社会の幕開けかも知れない。