岐路はどこだった (1)

この年齢まで生きて暮らし、将来が短い分だけ過去と向かい合う時間が長いような気がする。

健康であれば、長生きもせねばならず、その為にいろいろ心準備をせねばならず目的のない余計な生き方は余りしたくはない。

私の人生で自分の意志で生きて来たのは18才からで、それ以前は何か成り行きの中で、暮らして来たような気がする。

人生を決算、仕訳けしてみると見えない岐路で特に考えもせず迷路に入り、障害に遭遇、損切をして突破してきたような気がする。

幼少時の運命は不可避で特に戦時中は生き延びる為に必死に逃げながら生きて来た。

五島に疎開するまでは毎日、戦火を潜り暮らしてたのではなかろうか、S19年五島に行かなければ大阪で爆死したか戦災孤児になっていたかもしれない。

3年前に仕事で通天閣がある天王寺駅に宿泊、古老住民に聞いたら可成り犠牲者がでた、言われた。

初めての岐路は矢張り、就職先を東京にするか、大阪にするか、名古屋にするか。

最後に決めた先は、戦国時代の英雄豪傑を輩出した名古屋で、照明器具のメーカー。

これは人生における最初の岐路であつた(次回に…続く)