座して死を待たず
特別に何々をしなければいけない…という事が無くなり気分的には気楽な毎日を過ごしているが何か物足りなさを感じるのは、この年齢になる迄、目的を持って日々を送り迎えた慣習のよるものだろうか。
私の内側ではやろうとする事がもたらす直接成果と派生するであろう相乗効果を踏まえ生産的要素の大小を検分し行動に移して来た。
今、鬼籍の門前に立ち「座して死を待つか、立して対峙するか」どうしたものか、身の処し方に迷想している。
気持ちの中では「座して死を待てるか‼」の思いはあっても、為すべき事が見当たらず着手出来なければ「座して死を待つ事になる」。
老いるという事の残酷さは特別な役割を持たず暮らさねばならない、と言う事か否か。
ウォーキングロードから見る美しい夕焼けは海面に残照を映し人生の黄昏と重なる。
「人生、意気に感じ」、隣人と自分に忠実をモットーに生きて来た事に悔いが無いが、何故か今、そしてこの先、如何したものか思案しているのも現実。