天の配剤

齢80に達する。

この年齢まで、生きたいと考え努力して得た結果ではないが、あらゆる偶然の積み重ねの中で今日を迎えた。

4,5日前も五島時代の中学同級生が逝去されており、生き残り組の私にも死神接近

の気配を感じる。

私の持論は万物の霊長たる「人間は死期を感じとる潜在能力を有する」であり、個人差はあろうが超微妙な信号をどうキャッチするか否かの問題と理解している。

人生の終着駅周辺で自分の総括を検証している日々、先祖代々の系譜と我が家の家族構成を考える時、絶妙の「天の配剤」を感じる。

私自身の親子兄弟を見渡しても異父兄弟の構造で世間的には複雑な家族構成で互いに複雑な思いを抱きつつ成長してきたが、6人兄弟の誰一人として不要な人間は居らず、夫々が夫々の役割を持って生涯を全うした。

何がどうなるのか読めない事が多い人生航路、社会ではあるが結果論として見直してみると人間努力の業とは思えない事象現象の絡み合いで絶妙の結果が創造されている不思議を悟らされる。