人間関係を考察する。

この齢になって人間関係の極意とは何ぞや?
考える機会が多くなった、それは自分の人間関係において疑義を感じる場面が多いからだろう。
私の人生観の中では分かり難いのは世の常で人間ほど複雑怪奇な動物はこの世に存在しない、という
部分では観念的にも承知して人間関係を作って来た訳であるが、改めて思う事は矢張り行くところまで行ってみないと見えてこないという事。
私も私なりの価値観で広く世間を渡り歩いてきたが、考えてみれば折々に友情を感じ兄弟に近い処迄の付き合いをしながら、思わぬ場面に遭遇し断交、苦い思いで人間関係をしばしば清算した。
商売の足し、選挙の足し、何かの足し等々、自分の足しに成るか為らないか、大きな要件であるが
私は相手半分、此方半分の関係で人間関係、友人達を作って来た自負がある。
それが私の理想であり物理的に言えば相乗効果のある人間関係の構築と維持である。
私が自ら断行した人間は殆どにおいて約束の不履行、信義の反故、道義的な問題等であった。
多分これから先もこれらの問題に遭遇する事であろうが、この部分は譲れない、ここまで来たら損得なんか別勘定で、楽しく時間を共有し自然体で付き合える人間関係を大切にしたい。
人間社会とは本来そんな世界でなければならない筈なのに、理想が低いのかそんな事を考える希少人種が衰退し体質が変化して来ているのか。
とにかく住みにくい世の中にコロガリ始めている。