老鶏の交わり


「刎頸の交わり」をもじった訳ではないが、後期高齢者喜寿を迎える年齢になり、知人が友人に友人が盟友となり新たな人間関係が構築されて面白い、若い時の友人達はある意味で土俵は異なるが良きライバルとして切磋琢磨し遊びも仕事もいろいろ情報を交換、或る時は仕事先の紹介し合って共存共栄を図ってきた。
互いに現役を退き直接的な関係が失せると接点が焼失、疎遠になり、ある日突然訃報を知らされる事になる、此方が懐かしいと思っていても向こうがそう思っていなければそこまでの話で冷めた気分になる事もシバシバあり時間差による感情の変化も人間性によるものか。
若い時の友人達とは将来の夢を語り、将来に接点を求め友情を温めたものだが、如何いうわけか事業をやる人間は駆け足で短命、人生終着駅の近くで夕暮れの景色を鑑賞できないのは哀れで可哀そうな事である。
年を取ってからの友人関係は何ら拘束されることもなく100%勝手自由で縛りも利害関係も無く無条件で楽しい、語る将来の夢もなく、大方、昔話で明け暮れ、聞かされるのは苦痛が伴うが他人の人生も角度を変えて聞けば面白い部分がある、人生体験と人間性の関係について考察するのは自分の足しになる。
それにしても学識があり抱負な社会体験、一流会社で役席がありながら、人間性といえば姑息で、虚偽の衣装を纏い紳士然している輩が多い、中国雑技団の変面もどきか、情けない男達。私は選挙を4,5回やり人生n勉強も腹一杯させて貰い、貴重な体験ができた事は掛替えのない財産であり人生劇場の主役として無上、至福の経験を頂いた。
これから先の友人たちは墓場の友、あの世の有無は私の知らない世界だが残り少ないこの世の時間を大切に共有したいものだ、これが老鶏の交わりかと思う。