原点回想(その3)

今日は里山くらぶの例会で先々週に引き続き多良山系の金泉寺に行った。
熱中症が多発しており万全の態勢で登り元気に帰って来た、昨年の8月には9合目でリタイァした苦い経験が有り、何故リタイアしたのか自分なりに検証した①多量発汗で塩分不足、②体温が上がり熱中症状が出た。要約すればこの2点、対策を立て再挑戦⇒結果は計算通りビクともせず踏破、リベンジを果たした。
原点回想(その3)を書こう、名古屋では18歳の時からいきなり客先回り、電気工事屋さんに行って会社の照明器具を現場で採用してもらう為の営業をした、名古屋弁は独特の節回しと方言で五島育ちの私には難解であった。
2年目には信州長野県まで代理店のベテラン営業に同行、接待迄経験した、当時、未成年で飲酒はご法度だったが苦い酒を飲んだ、その時の相手側はなぜか役人、市会議員も同席していたような気がする。
酒宴になり米粒位の蜂の蛹の油炒めが出ていたが勿論口には出来なかった、その後の顛末は記憶がない、昔は接待も悪ではなく商慣習で礼儀の一つだったようだ。
夜の世界を覚えたのもこの当時である、営業所の人材不足で岐阜も担当、柳ケ瀬のクラブにも客先から連れて行って貰い一丁前に格好つけて飲んだ記憶がある、無作法で長靴を履いて入ったが常連さんと一緒なので特別嫌な顔もされず柳ケ瀬はすごい処だな〜と感心した事をありありと覚えている。
先日、飛行機待ちの時間を利用して金華山岐阜城に上った、途中、柳ケ瀬界隈をバスの車窓から覗いたが昔の面影は微塵もなく全く見知らぬ街になっていた。半世紀以上の年月で変貌するのは当たり前で昔を求める旅人の方が可笑しい。
職場の先輩の中でも高山出身の高井英輔氏には格別に多々薫陶を受けた、私が具体的に事業で身を立てようと決断したのは彼の影響であり、この3年間の社会体験で固めたものである。