原点回想(その2)


名古屋、岐阜特徴多治見が40℃近くまで気温が上がり、各地で体育授業を受けていた子供たちが熱中症で救急車で運ばれ死亡者まで出ている、亜熱帯化が徐々に進行、北上し気候変動と重なっているのではないかと思う。
昔は在日韓国人こそ沢山いたが、今、都会地は他国籍人種のルツボでこのままでは日本は多国籍人の国になり日本的道徳観念、社会風潮も消滅するのではないかと畏怖する、これこそ国難である、安倍総理国難国難と吹聴し政権確保して来たが本当の国難対策が無策で石破さんの方が誰の目にも人物に見える、但ししEUとのFTAは良かった。
人間の運命は「チョロイ」とツクヅク思う、私が名古屋で過ごした3年間に得たものは何か、検証しても特別見当たらない、田舎育ちの少年が初めて社会人となり社会勉強した場所で先生役は職場の先輩、親身になってくれた人、相性の悪い男、素行の悪い奴、小さな会社故になんでもさせられこの時間帯の中で社会のルールを習得した。
苦しい時はライトアップされた名古屋城を度々夜に見に行った、名古屋城は名古屋のシンボルで周囲の堀はアベックのデイトスポットだった、女友達のいない私や同僚などは田舎者の悲しさ都会の女性に声をかける勇気も無かった。
初めて就職した会社を訪ね昔のお礼を申し上げた、息子さんの時代になり堅実経営で会社は維持されていた、昭和区紅梅町3−6 御器所交差点から南に50m歩き東に50mの場所が
過っての職場、近くに喫茶店があり見覚えがあったので立ち寄った。
伊勢湾台風の翌年、開業したという、私が名古屋に就職した年も伊勢湾台風の翌年で逆算すれば59年、先代から娘さんに継承され、私たちの事は知る由もなかったが出されたコーヒーは昭和の味がしてほろ苦かった。