ふるさとのしま「マリンピア」


冬の五島灘を渡り福江島に行ってきた、気分的には帰って来たと言いたい処だが身内はおろか先祖の墓もなく物理的な関係は皆無になってしまった故郷である。
大阪で生まれ、五島で育ち、都会地で青春時代の一時期を過ごし結婚を機に長崎に居を構え最終的に長崎市の隣町時津町に来て早40数年が過ぎた。
高速艇船中で今日までを事を振り返り私は一体「何処の者か」自問、何処の者でもなく大きくは日本人としか答えようが無い。
同級生たちは各々が現職を離れ悠々自適の半ば隠居生活を過ごしている、島の生活は時間も緩やかでシニアには優しく暮らせるマリンピア。
学士時代に親しかった友人達が逝去、都会地で没しても墓所は故郷の島に収められている、羨ましくも思えた。
東京で逝去したT君と福江で没したO君の墓前を訪ね線香を上げて来た、こんな仏心が自然に湧いてきたのは私に死神が刻一刻と近づいてきた前兆かと思う。
5年ぶりの福江は思い出の中の故郷と変わりなく友人達も見知らぬ商店の店員さんも暖かく優しく対応して呉れる、五島に来れば五島人に成りきれる、五島が心のふるさととして定着しているのはそんな処だろうか。
この島に今度いつ行けるのか、今回は5年ぶりなら次回は5年後かとも思ったが果たして5年後に生きているのか健在なのか保証は何処にもなく心の中では決別モード。
幾たびが五島灘を超えて往来した、心情的に同じ思いで感慨に耽ったことは一度もなく、渡海する度に新たなエネルギーを補給して来たような気がする。
私にとっての五島は亡き母の豊かな慈愛に満ちた心が通う島。
冬空の下、にぶく煌めき奔る波浪 このふるさとの海にも感謝したい。

        《写真は福江島を2,30分離れた海域、右手は椛島か》