春望


県民の森、琴海から尾根伝いに西海市道の駅まで西彼広域農道を走る、立止まった路傍で雑草に混じって一茎の「薊」が生えていた、春に花が咲くのであろうが今は蕾さえ見当たらない。
名古屋で暮らした青春時代、半世紀を超えた現在も親しい友人が時々歌声喫茶で歌っていた「あざみの詩」を思い出す。
振り帰れば「50年前も昨日も」同じ過去は過去、明日は不明だが過去には確かな現実が介在した分、恋しく懐かしい。
振り返って見れば高校卒業「五島灘」を渡ってからノンストップで今日まで走り続けてきた、現在も進行形であるが、我武者羅に楽しかったのは、矢張り名古屋時代、「夜の世界」の勉強したのも「柳ヶ瀬ブルース」で有名な歓楽街であった。
多感な時代、未知の世界、全て始めての知見、体験、「あざみの詩」が好きな友人は岐阜県瑞浪出身であった、島崎藤村「夜明け前」で有名な処だが一緒に行く機会が無く今も心残りがする。
いつか木曾の御岳と抱合わせて実現したい、元気な内にもう一度、彼の「あざみの詩」を聞きたい思いが湧いて来る。

昨日の日記に見知らぬ人からコメントが寄せられた、貴重な意見であったので紹介させて頂く、返事は直接私なりの見解で差し上げた。
北朝鮮にミサイル、韓国からは竹島、中国には尖閣列島、ロシアに北方四島不法占拠され、近隣諸国から土足で庭先をかき回されても形だけの抗議しかしない軟弱外交の日本。
高校漢文の授業で習った杜甫漢詩が脳裏に浮ぶ・・・
「国敗れて山河在り 城春にして草木深し・・・」
さまよえる日本列島
この国は何処に漂着するのであろうか・・・・・ 春望。