もしかして「夢遊症」 荘周の夢。


写真は針生島(西海橋)から佐世保港方面に向かい数キロの処にある「黒口漁港」、郷里の(旧)福江市丸木町に近似した漁村、昭和の名残と匂いを感じさせる私の好きな部落。
久々に崎戸町の某社を訪ね歓談、80歳を過ぎて尚旺盛な事業意欲には毎度の事乍、脱帽
元気を頂戴して帰路に就く、明3月22日は母が没し、丁度20年、生きていれば99歳
外海海道で迂回、亡母亡兄の墓前に「榊」を奉げる。
齢71、私も昼夜毎日、生死の挟間を感じながら懸命に生きている身なので亡者に対する情念は亡者の生前より慈しみを感じる。
そんな訳か如何かは不明だが「亡者」の夢を頻繁に見るようになった、「夢遊病」という名の症状があるが、私の場合「夢遊症?」かも、と思い始める昨今、夢の中で非日常的な事柄に遭遇、結構楽しい展開で目が覚めて鮮明に記憶、まともな言動を思い出し余韻を味わう、何とも不可解な事象であるが面白くもあり「ままよ・・・デアル」。
折々を味わいながら今日まで生きてきたが「明日終わるかも知れない生命」本気度、命懸けでこれからは生きていかねばならぬと自答する、遊ぶことも、仕事する事も、奉仕活動する事も究極は同じ事。