過去との付き合い方


初めて韓国ソウルを訪問した時の古い写真が出て来た(右端のイケメンが私)、昭和48年オイルショックの頃だろうか
当時は朴正煕大統領の時代で日韓が李承晩時代の冷えた関係から政権交代、春風が吹き始めた頃で日本は高度成長の真っただ中、韓国も劇的に「漢江の奇跡」開幕時代、発展途上国同士互いに勢いが有り社会はあらゆる面で可能性を秘めていた。
不肖 33歳の私は恐れを知らない世間知らずで野心的で有った。
会社設立を韓国に計画、先に渡韓した叔父(山口展夫氏)の協力で人選する処まで進捗した,詳しい事情は分からないが叔父は現地合弁会社のトラブルに巻き込まれ拘束される身となる、最終的には袖の下(身代金)を渡し、身一つで帰国する事ができた、解放される迄1年余の年月を要し不幸にも帰国後1か月もしない内に韓国での窮乏生活がたたり脳溢血で急逝、私の計画、韓国進出の「夢と希望」は頓挫、空中分解する事になった。

その後、年月と場所は釜山に移り、韓国同業者に外注、輸入を実現、関係は現在に至っている。
最近は余り仕事にならないが「海苔養殖」に関する相談で年2回程行ったり来たり、叔父貴の不幸な事件を除けば私の韓国に対する印象は悪くない、国民を時の政府が反日方向に誘導、政権に対する求心力を醸成してるが私が知る知識人は概ね看破している。

33歳の若い頃には帰れないが、この写真の中に33歳の私が確かに存在、アレカラ43年、過ぎ去りし年月で得たものは何で、喪失したものは何か、帰らぬものに未練も執着もないと言えば噓になるが生きている限り忘却することは無い。
       
★この写真を撮影者は東京在住のTさん生涯無二の親友、彼の友情に支えられ今の私が有る。