釜山沖「海苔養殖現場」 男3人 同床異夢


「株式会社樹工」時代の韓国代理人、金 鳳培氏からオファーがあり釜山に行って来た。
鳳培氏の知人で日本的にいえば農水省のOB「金○○氏」を紹介され韓国海苔網の現場視察をして来た、釜山沖 25分の海区、水深約10m、沖合にしては遠浅で海底は潟地であろう、波浪は至って穏やかであった。
海苔組合職員のFRR船に関係者5名と同乗、生まれて初めて海苔網を引き揚げた、写真のように黒々とした海苔が網目に所狭しと張り付いていた、釜山港外、沖合から市街地を見れば影島の林立する高層アパート群が視界に入った。
韓国を初めて訪問したのは若かりし頃32、3歳の時であった、朴(クネ)大統領、お父さんの時代で日韓関係が近くて遠い国と称された時代、金 大中事件、青瓦台事件(全斗換クーデター)ソウル五輪と歴史に立ち会って来た様な気がする。
金鳳培氏も元はと言えば朝鮮動乱時の脱北者、肉親と離れ離れの身の上話は涙腺が緩む。
上海事務所の派遣職員某氏が骨を折って呉れ少しづつではあるが進捗、日本産ありあけ海苔の衰退を先月漁業関係者から聞かされたばかりで韓国海苔を助長するような仕事が果たして社会寄与に繋がる事なのか「疑問」もやや感じつつ取り組んでいるのが現在の心境。
4月も今日まで・・・
刻一刻と時は過ぎ、時が来る、目的不明の生き方をしてはいないかと自分を嗜め嗜め駆け足で過ごしている毎日、5月の予定も殆ど満杯に近い、特に土日は厳しい。
昨日は時津町手をつなぐ育成会主催のコンサートに行った、全盲で知的障がい者の青年がピアノを弾きながら「赤とんぼ」を歌った、透き通るような透明度の高い声色で心に染みた、青年には「赤とんぼも夕焼け小焼けも見えない」のにしっかりと心で日本の原風景の情景を捉えていた、感動的な数時間で有った。