まばろしの「創業記念日」


初めて自分の写真を掲載した、背景は若戸大橋
撮影場所は若松側から大橋を渡りJR戸畑駅を過ぎた海岸通りの一角、門司・戸畑は筑豊石炭の積み出し港、岸壁階段ギリギリに「ごんぞう」の待機小屋が復元され火野葦平の「花と龍」舞台となった往時を偲ぶ。
今日10月1日は本来なら私が創業した「株式会社 樹工」の創立記念日、40年の歴史刻んで登記抹消した、昭和45年(1970)はよど号ハイジャック事件大阪万博開催、日本が高度成長の潮流に乗った時期で秋には陸上自衛隊市谷駐屯地で「三島由起夫事件」があった、我が国の社会史上特筆に価し記憶される年になった。
紆余曲折の41年で有ったが此処まで元気で来れたのは「会社」のお陰、会社はシッカリ役割を果たして呉れた、今考えれば事業経営を疎かにし、良からぬ方向に脱線したり、私の立場に忠実でなかった事を猛省する、資本主義の社会では「会社=社会の財産・社会からの預かり物」の気持で経営したが好事魔多し、ドラマチックな半生を送らせて貰った。
株式会社樹工は家内企業に毛の生えた程度の小規模企業ではあったが私に取っては「能力開発と自己実現」の基盤でフル活用フル回転の慌ただしい年月であった、幸か不幸か息子達に継承する事無く幕引き出来た事も結果論ではあるが「良」と納得している。
「事業は家業に非ず」の前提に立てば1代で完結するのも男の美学、般若心経の精神「この世は無常」に共感、立場の有無、所有、借用も長い年月で量れば同じで最後は社会に帰する事になる真理は不変。

自民党民主党が政権争奪戦を演じている、無常の物差しで計ればコレマタ滑稽ながら政権浮揚を狙う野田政権が第三次内閣改造を本日実施、余命幾許の内閣誕生だが政治戦略で短命内閣を承知の上で組閣したのだろうが選挙民・国民を愚弄している。
選挙民はワイドショー的にしか政治を見ていないので特別問題にしていないのだろうが、それにしても政治の貧困は国民に大きなツケを廻す、身近な選挙をみても同様で信任投票した選挙民が当事者、主体者である事を考えれば選挙民こそシッカリした選球眼を持って選挙に臨まなければならない。
先月は17日書き込んだ、今月は多分落ち込むのではないかと思う、連日多忙。