惜しまれる「合名会社川口分店」



旧福江町時代一番の商店街栄町 「合名会社川口分店」は右側車両の左横に位置する。


昨年の4月、郷里五島の合名会社川口分店が閉店、破産した。
福江市では老舗中の老舗なので、馴染み客も多々有った筈である、倒産して[九州最古の企業]であった事が紹介され吃驚したのは私だけでは無かっただろう。
創業1470年(文明2年)応仁の乱、最中の室町時代というから「時津」で言えば、時津一族が深堀一族により滅された頃である、よくも長生きしていたと感心する。
人間に例えれば540才、創業時は製塩、その後酒造・小売商と時代と共に形態を変え今日に至っていた。越後屋三越1673年)の200年前、岡田屋:現イオンG(1758年)から比べても300年前に創業だから凄いの一語に尽き、歴史的産業遺産に値すると言っても過言では無い。
更に表現を変えれば「国宝的有形文化財」の企業が五島列島、長崎の離れ島に脈々と存在した事である。
長崎、福江商工会議所で「民事再生について」検討の余地が無かったのか極めて残念な事である。
川口分店は中学時代の級友の店であり学校の帰りに遊びに立ち寄り多々お世話なった、初めて「水中花」を見せて貰った時の記憶も昨日のように蘇える。
日本国中、何処の商店街も同じだが福江市商店街も行く度に「ゴーストタウン」化に拍車が掛かる。
川口分店倒産の原因は島外から進出してきた大型企業の皺寄せで売上げ減少、負債総額は1億2千万で有った、経営診断すれば予見できたであろうに・・・。
商店街衰退消滅の原因は「各々の商店主」にある、流通業界の流れを観察していけば自ずと将来の姿は見える、離島振興、過疎対策、商店街活性化、選挙の度に政治家は叫び約束をするが、慢性的に連呼する丈で直ぐ忘れてしまう、地域の振興策は政治に拠るところが大であり行政執行者にも責任の一端はある。
覆水は盆に帰らない・・・・ほんとに勿体無い事をした。