明鏡止水の心気でいこう

四月に入っても天候不順、中国大陸から黄砂が風に乗り毎日のように飛来して来る。
サクラも最後の花びらを連理の垣間にセメギあいながら咲き乱れ頑張っている、健気である、最後の時期のサクラ花を姥サクラと言うが風流に欠けた人の表現で面白くない、人も花も折々に見せ場を作り感動を与えてくれる、良寛の句に「裏をみせ、表を見せて散る紅葉」
があるが自然界の一瞬に人間社会の現実を見る思いであり心で観察をすれば新しい発見がある、老いを蔑むべきでない、熟成した酒は味があり芳香もよい。
昨日は佐世保市で仕事先の知人とノミニケーション、同じ年齢で話が合う、人生観を語り酒を飲むのは楽しい、一仕事終った人間は灰汁が無い、サラリとして自然体が多い、彼は趣味のヨットを西海パールシーに持ち込み商売をしているがソレナリに収入になるらしく楽しんでいる、イロンナ仕事があるなあ〜と感心する。
今月からボツ・ボツ選挙対策も研究の要あり、議員定数の削減もあり、私も当落線上の男、
警戒警報を発令し引き締めていかないと大恥をかくことになる、この年になって恥をかくと取り返しが付かないからガンバロウ。
定数削減、16or18議席で議論が分かれる、私は「16」の方であるが同僚議員たちは、「18」を標榜している、住民は「16」を求めてくるだろう、根底には議員不信で「議員は何人いても同じ」どっちみち大した事はしてないから少ない方が良い、単純明快な声である。
「16」で行けば同僚議員が振るいにかけられ、仲間の数を減らす事につながる、「18」では保身議員の烙印を押され住民の評価は得られないばかりか不評を買うし支持者を失う、
支持者の代弁者として天の声を聞き分け私の考えを纏めなければ成らない、明鏡止水の心境で生きて行こう、不動なるものそれは天の声、人の思いである。