ほたるの川のまもりびと。


先日の日曜日、表題の記録映画を見に行って来た、「ほたるの川のまもりびと」長崎県東彼杵郡川棚町川原(こうばる)地区に建設予定の石木ダム反対派の住民が暮らす里山部落の人々の生活記録を題材にしたドキュメンタリータッチの映画である。
総事業費は県費285億を原資に佐世保市に対する配水源と併せて治水を兼ねる多目的ダム、1960年代高度成長期に計画されたが水需要の根拠に乏しく法廷で控訴、反訴が繰り返され難航、利水も治水も現時点では机上の空論で意味の無い公共工事長崎県も行きがかり上中止できず政治不在のまま「金と時間」だけが空費されている。
諫早干拓の排水門開閉訴訟にしてもいたずらに時間と金を浪費、国家事業であるがツケは国民である我々に回され、石木の事業費も全ての県民に回される。
誰に聞いても「無用な公共事業」の答えが返ってくる、県議会に50数名の議員が居りながら与党系は誰も「NO」と言わない、本来なら与党議員一致団結してが真っ先に中止、見直しを県側に求めて行くべきだが県議会は不思議な処、見ざる言わざる聞かざるの三猿が棲んでいる。
我が町の事ではないが一人の県民として、地方議会に身を置く一介の議員として看過して良いものか、残された時間の中で精査し取り組まねばならない社会問題、今日までの事情が有ろうが無かろうが為にならない事業は容認できない。
平成に入りこの十年間で長崎県の人口は151万から141万に減少した、あと数十年すれば100万を切るだろう統計を見れば結論は出ている。
政治家が貧弱でも行政がしっかりしていれば社会は円滑に作動する、政治も行政も貧弱不明であれば住民納税者、子供達にツケは廻される、県民こぞって川棚町佐世保市長崎県の問題を自分の問題として受け止め行動し声を上げて行かなければ世の中は良くならないばかりか住みにくく歪な社会が出来上がる。