人間は神秘的

久し振りの連休、天気は上々 皐月日和を思わせる爽やかな風である、予てより考えていた外海の「道の駅」に家内、友人を連れて遊びに行く、オープンして日も浅いに店内はサナガラ雑踏の渦中である。
自然景観は抜群であるが何の変哲も無いこの丘に人が立ち寄り買い物をする、仕掛けが良ければ観光でも景観でも充分商売に出来る良い事例である、特に産直の強みで売り切れがドンドン出て勿体ない位、商売は勢いで勝負とも言うが人が人を呼ぶとはこの事か。
神の浦から大中尾の棚田を観て「県民の森」に入る、過ってバブルの全盛期、同級生で竹馬の友が、この山林を行きがかり上 買いはしたものの バブル崩壊後、負担になり嘆いていたがソンナ彼も今は亡く、手入れもされない檜林の枝が四方に茫々と生い茂り年月と、彼の「無念さ」をヒシと感じさせる。
元気な時は特別感じなかったが彼が急逝し帰らぬ人となり私に対する友情を改めて感謝し感じ入る、人間の関係はそのように果かないものである。
・・・県民の森の中腹に「めい窯」という庵があった、やや白髪交じりの婦人が愛想良く、コーヒーをご馳走してくれた、聞けば大阪から14年前に琴海に来て独居、ネコ3匹を家族とし創作活動に励んでいる、メリハリのある、目鼻立ちのシッカリした中々の庵主である、
ネコの置物や、一味変わった作風で力のこもった図柄の陶器を鑑賞し、焼き物の勉強をする
絵皿とネコの置き物を買い、余韻を残して辞すが又訪ねたい窯元である。
人により多彩な生き方があるな〜と感心する、人により価値観は大きく変わるが、60億の人間社会と言えども、自分と同じ価値観を持つものはこの世に存在しない同じと思えるのは錯覚か、同調か妥協しているからである。
この婦人にはドンナ半生が有ったのだろうか、琴海に来た必然性はナンなのか、男女を問わず変わった人に会った時に何時も思う疑問が湧いてくる   やはり人間が一番、神秘的で面白い。
帰宅後  部屋の掃除、書類の整理、不要品を廃棄処分する、身辺をスリムにしよう。