浦島太郎今昔記

この前日記を書いた時、コラム倦怠期になったのではないかと悪い予感がしていたら、案の定、気が乗らなくなりサボってしまい今日まで休業する。
二日間の連休で英気を養いパソコンに向っている、この間いろんな人からイロンナ相談を受ける、私がそれだけ頼りにされているのかと改めて自分を顧みる、然しながら公職に奉じる身であれば身を正して出来る相談には乗り応えていかなければと思いを新たにする。
我々の年代になれば先も知れているのでハイリスクは避け、如何に安全地帯に着地して我が身を格納庫に収めるか、しかる後に自分が積み残し、何処かに置き忘れた部分を探しに行くそれは「ドン・キ・ホーテ」の冒険でもある、友人達と良くそんな話題をする、同じ時代を生きて来た人間には共通の体験と価値観がある、一人で探しに行くより「二人で行こう、三人で行こう」と仲間が増えて楽しい。
そして最後の仕事に於いても、仲間で助け合い乍、出来ないかと盛り上がる、その内にその内にと思っている内に「浦島太郎」と一緒で気が付いてみたら自分が「皴だらけの爺い」。悲しいかなこれが現実である、時間と共に年を取り、命の持ち時間が減り、気力も失せる。
私は幸い、人に恵まれ、家族に恵まれ、時代にも恵まれ、思いを果たしつつ生きて来れた、「ゆきずり」の人生を、味わいながら正直に生きて来た。
そして曲がりなりにも人から頼られ、相談を受ける今日である、この生活は有る意味、私の私に対する証でもある、私が血気盛んな頃「月光の里・小松昌幸先生」が「他人の喜びを自分の喜びとし」他人の役に立てる自分を喜びとしたい、同じ年代になり私も今、感じる事である。