最後のセレモニー

昨日見た夢に死んだ兄弟が出て来た。

最近、よく亡母や亡兄達の夢を見る、彼岸に墓参を忘れ憤慨、夢に現れたのか。

(墓参はその数日前に済ませており、恨まれる筋合いはないのだが…)

内容はハッキリ覚えてないが悪い夢でなく、少年時代と壮年時代が混合、起きた時は可なり覚えていたが暫くして蒸気のように飛んでしまったが…愉しく何かをワァワァ言いながら作業的な事をしている夢だった。

父が戦死、疎開先でそのまま暮らし辛酸生活だったが母の苦労を見て育った関係からか家族の繋がりは強く、毛利元就の「3本の矢」の育てられ方をした。

後年、少年時代の志を実現できたのは家族の協力のお陰であり、その延長線上に今日がある。

私の人生セレモニーを回顧しこれからの希望を元気な内に記しておきたい。

この世に生まれ、この世で育ち、嫁さんを貰い、子供5人得て、人間使命をほぼ果たし後はと言えば自身の処置を如何するか。

考えてみればこの世に人として誕生したのは私の意志でなく、たまたま偶然と偶然が∞無限大に重なり久保家に誕生、ウォーターフロントの公園猫に生まれて来てても不思議ではない、と真剣に考えている。

そんなわけで葬式は家族葬、納骨は半分半分で散骨し、五島灘にバラまいて欲しい。

NPOで散骨事業をするのは一つには自分の手で最終処分したいからである。

カトリック式でする事もない、あの世の存在も天国地獄も有るとは思えない。

慎太郎と同じ考えで、死んだら一巻の終わり、虚無の世界で魂も霊界も存在しない

願わくば断捨離を早く終わらせ、没己の気迫で最後のご奉公を実現したい。

それが私のセレモニー 最後の最後のセレモニー。