4才の夏「回想」

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4才の夏「回想」

昭和20年8月15日、正午、周囲は不思議な静寂と緊張感に満ちていた。        

幼い私にはそれが何なのか分からないまま母の傍らで正座、小さな箪笥の上の古びたラジオに耳を傾けていた。                               

戦争終結を告げる玉音放送で有る事を知る由もなく、ただ母のほっとしたようなため息と同時に急に緊張感がほぐれた様な空気が周囲に立ち込めたのを感じたものだ。 

母のそばに誰が居たのか、薄ら覚えではあるが二人の兄と何処かのおばさん(多分我が家に出入りしていた農家の方)、当時ラジオの無い家も多く重大な放送がある、という事を聞きつけて聞きに来ていたのであろう。

昭和19年、34才の若さでサイパン島で父が戦死、母は祖母の再婚先を頼って大阪から五島列島福江島疎開疎開前の住居、天王寺に居れば確実に戦災で一家全滅、五島に疎開したおかげで母子家庭になりはしたが家族4名の命は救われた。               

五島での暮らしは楽ではなかったがたゆまぬ母の努力、五島の方々の人情に助けられ以来15年間の年月を送る事になる。                           

戦争により渡り鳥のごとく海山を超え九州の果て五島列島にたどり着いた一家で有った。

私自身の生涯を顧みれば60年の年月の中で五島列島に育まれた「自分が在る」と確信する。 

                                     

   

 

 

 

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