般若心経「阿吽の世界」


某寺の仁王像「阿吽」の「吽」意味深長。
般若心境の世界を覗きに友人達と真言宗弘法大師縁の寺を訪ねたら、山門の左右に木造彫刻の仁王像が2体立ちはだかっていた、寺に入る狼藉者を威嚇排除する為の魔除的な像かと勝手な解釈をしていたが住職に尋ねたら「阿吽の仁王像」と教えてくれた、梵語で「阿吽=あうん」は「宇宙(事)の始まりと終わり」を表現している、と難解な説明であった、口を開いた像が「あ」で閉めた像が「うん」であるという、阿吽の呼吸は知っていたが、由来は知らなかった。
寺で「般若心経・276文字」を参拝者と合唱、門前の小僧になるが解説を聞く内に理解できてきた。曰く「色即是空・空即是色」形あるもの、のみならず形の無い意識感情、無形のものも変化し一定留まらない、平家物語諸行無常の世界」何もオタオタする事など無く、元々自分でさえこの世に存在せず、自分の意思で産まれて来た訳ではない、そして最後はこの世から消えて行く、無から生じて無に帰る丈の事と説く・・・
道中、信長が好んだ幸若舞「敦盛」を思い出す、「人間五十年 化天の内にくらぶれば夢幻の如くなり 一度生を受け滅っせぬ者の有るべきか」釈迦の教えも信長の人生感も対照的ではあるが基軸を一にする。
今の私と宗旨は異なるがご先祖は「南無大師遍照金剛」の世界、亡き父母兄、恩人達に感謝と謝罪の行脚であつたが、境内の樹間から「晩節を汚す事無く残りの人生、全うせよ」の声が聞こえて来たようだ
                   合掌