矢上の宿「今は昔」。

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長崎街道、矢上の宿。
取引先からの依頼で矢上に出向、事務所の前が丁度「長崎街道」第二の宿場町「矢上宿」、国道の裏側に位置し左右の軒並みが微かに
名残を残しているが「今は昔」、町興しの気風も皆無らしい。
道端に古刹「矢上神社」が現存し往時を偲ばせる、長崎は天領長崎奉行が采配していたが、ここ「矢上」は鍋島藩であったと表示。
そのような関係からか神社内にある「水子地蔵?」の皿と湯飲みは鍋島の唐子模様乍、童子が青年位に成長した図柄に為っていた。
奇異な感じはしたが窯元が作った事は事実であるし、そんな窯元に何となく親しみを感じた。
時津町街宣車が横行、某町長候補にメッセージを送ってるようだ
迷惑な話だろうが違法行為ではない、町内耳目の的になれば選挙に与える影響は大きい、町内有識者の間で無投票に丈は出来ない、声が聞えて来る、私も同感である。