「戦没者追悼式典」に思う


先日、崎戸行きの折、平素の道順を変えて琴海県民の森から旧西海町の山嶺まで続く広域農道を走る。
五分咲きの山桜を脇目に自然を満喫しながらのコースは車両利用率が少ない割りに整備され道の駅「よかところ」迄続き途中、けもの道サナガラの林道入り口に「雪の浦窯」と奇しげな看板がある、陶芸家は奇人が多いから折を見て訪ねたいな、と思いながら通過した。

今日は時津町戦没者追悼式典、昨年までは議会関係者で出席していたが、今年から「自治功労者」で招待された。
昨年と比べ遺族参加者が減少し、町内の著名団体、関係者の方が多数、私も町外者ながら直系の遺族なので戦死した父の遺影を想像し献花、高齢化が進む中で遺族も他界しその内ゼロに為る、時津町も戦後生まれが人口の82%で国が抱える問題を共有しているようだ。
本日国会で24年度一般会計予算が衆院差し戻しで可決。
90兆3千億*特別会計合算で97兆弱、時津町の24年度一般会計は当初で87億余、国対比なら約/千分の1,自主財源比率は高いと雖も50%位交付税で賄われており特別に自慢できる立場に無い。
長崎新聞社長与町首長選挙に関するコメントを求められる「・・新人は何でも言えるけど出来る事は少ない・・・」
新聞記事に元朝日新聞代取専務内海紀雄氏(五高・同級)が
五島市図書館に郷土に関する蔵書千冊を寄贈と紹介されてい
た、時々友人や知人の消息を社会面記事で知らされる場面がる、お互いに何時までも元気で居れる保証は無い、私も身辺整理を「ぼつぼつ」せんばいかんと自答する。