日本26聖人・410回目の冬。

              日本26聖人への手紙(殉教410年の記念追悼文)
前略、日本二十六聖人殿
1597年、今を去る410年前の2月4日夜、彼杵より三艘の櫓舟で護送され辿り着かれた貴方がた26人の目に「時津の浦」はどのように映った事でしょうか。
当時、村には一軒の宿があったにも拘わらず上陸させられないまま、後ろ手から首に縄をかけられ、寒風に単衣の身を晒し眠れぬ内に朝の光を待たされたらしいですね。
1ヶ月にも及ぶ京都からの長い旅のうちで最も過酷であったという海上で過ごした最後の夜の有様を郷土の史家は「ゲッセマニの園」の苦しみであったろうと考察しています、そしてそれは最後の朝の始まりでもありました。
あの冬から数えて410回目の冬をこの地は迎えようとしています・・・長い風雪の中で風化、消滅、或いは変形し昔を偲べるものはありませんが貴方がたが上陸されたという船着き場に立って想いを廻らせば遥かに櫓の音を聞く事が出来ます。
大村湾は今日も静かで時折、波間にきらきらと光を放ち、沈黙の中にも貴方がたの勇気と栄光を讃えているようです。
異郷の地、長崎西坂の刑場で磔に成り殉教した貴方がた26人の偉業は遠くローマ法王庁に伝えられ教皇ピオ九世により1864年に聖人位が授与されました。
貴方がたの殉教の後、この国は禁教時代の幕開けを迎え、激しい迫害の嵐の中いたる所で貴方がたの栄光に倣う殉教がなされ、20年後の1617年6月、最後の一夜を過ごされた「時津の浦」から北西海上1・5km「鷹島」に於いて二人の宣教師と切支丹一名が、西彼「小干浦」では1624年7月、宣教師に宿を与えた科料で土地の
切支丹親子が斬首される等、こん日の記録に残るだけでも数多くの歴史的迫害が連綿と続きました。
不気味な沈黙と長い闇の時代の中を語り継がれ密かに守り貫かれた信仰の灯は貴方がたの末裔にによって、今日、全世界に絢爛と花開き、そしてこの地にあっても確かな
根を下ろし、貴方がたの勇気と栄光を称えて献堂された教会がミサの鐘を鳴らしています。
1994年 此処、時津港口には「日本二十六聖人」と成られた貴方がたの上陸を記念してモニュメントが建立されました。
2006年10月中秋の候、時津の町は笛、太鼓が鳴り響き、寺社祭りの真っ最中です、私達、史談会の同志はこの町の歴史を探索しつつ貴方がたの足跡を偲んでいます
                                 
                                 草々 
                          史談会員 久保哲也