「日本26聖人殉教」影の部分


写真は2月3日 日本26聖人記念ミサが時津港口で挙行された風景。
1597年2月5日、418年前の当日、寒風に曝され曳かれ人として時津の港に上陸、当日即、西坂刑場で十字架上に張付け処刑された。
毎年カトリック時津教区では26聖人の追悼ミサを祭事する。

2月に入り再開した仕事が少々、忙しくなりプログの更新が怠慢になった、書き込みに関して特別な約束事を誰彼としている訳では無いので咎められる事はないが入力しないと日々の記録(記憶)が消滅して行くようで心細く感じている自分が居る。
安倍内閣に対する支持率が「71%〜76%」と政権樹立後も上昇を続けている、手堅く所々の事案を対処しての事であるが、本来ならもっと「斬新且つダイナミック」に対応すべきと思うが失点を恐れて安全性を優先、気配りを利かせている、民主内閣の体たらく反動で支持率を確保しても本来の姿ではなく国益を踏まえての政策で勝負して欲しい。
安倍政権に対する評価は「生活の小沢、みんなの渡辺」代表の論評が的を得ているように思える。

冒頭、26聖人記念ミサに触れたが時津町日並地先の鷹島は迫害時代の殉教地、2人の宣教師と3人の信徒が無人島で斬首された、1617年(今から398年前)26聖人はバチカンを初めインタナショナルであるが「鷹島の殉教者」は処刑された場所が無人島、地の利も悪く、陽当たりが悪く26聖人の陰になり陽の目を見ない可哀そうな存在、処刑された6月1日は奇しくも私の誕生日、2年後「殉教400年祭」を長崎大司教区の殉教祭として提案、彼らの功績を日本のカトリック教会、信徒他、後世に伝える契機にしたい。