「ペトロ・カスイ岐部」列福す。

今日は勤労感謝の日の繰越し休日、カトリックの日本188殉教者列福式典が県営野球場で開催された、代表的な人物「ペトロ・カスイ岐部」「中浦ジュリアン」全国多士済々、中には名も無く身分だけで報告された殉教者も居た・・・
私が尊敬する「ペトロ・カスイ岐部」が福者に昇格したのは有り難い事、本来なら聖人でも可笑しくない禁教時代に(密出国)ゴビ砂漠を越え単身エルサレム経由でローマまで行き司祭の叙階を法王より受け、即刻マカオ経由で帰路(密入国)、現在の薩摩郡坊の津町に漂着し、バテレン不在の中を宣教活動、捕縛されて大阪で殉教、壮絶な一生を送る・・・
戦雲冷め遣らぬ16世紀末に単身ローマに行く気概は積極果敢、豪快で直情な侍である12〜3年ぐらい前、仕事の序でに坊の津町に「岐部」の足跡を訪ねた事がある、ヒナビタ漁村で限界集落の予備村を想像させた、町の教育委員会に「岐部神父」の漂着上陸を尋ねても誰一人知らなかった、因みに坊津の地名は僧鑑真が上陸したのに由縁する。
彼の出身地である国東半島・豊後高田市の下端地方に「岐部」の勇気と偉業を称え小公園があり彼の立像がある、宗教者としての「岐部」より当時の一武士としての「岐部」は信長・秀吉に匹敵、否、それ以上の人物評価しても反論できない。
最近は寒いせいか、プログを書くにも努力を要す、なるべく自然体で書きたい時に書く
従って書きたくない時は書かない・・・自分に忠実が私のスタンスなのだが、徒然に書くのも日々の証しにつながれば、と時には無理して書いてる時もある。
21日・恒例のボジョレの会「無事完了」オカゲで満員御礼・一年ぶりの交歓、再会を約して閉会した、主催者は大変だが参加者が喜んでくれたら苦が楽になる。
三連休の間にベイハウスの地鶏親子が海難事故で4匹犠牲になり、可哀想な事をしたが想定範囲外、行動の結果で諦めざるを得ない。
動物的好奇心の強さが身を滅ぼした・・・これは自分にとっても教訓。