虎は死んで皮を残す?

虎は死んで皮を残す・・・・西洋の諺。
人生における使命は先ず人としての規範を守り、社会に貢献する事ではなかろうか、事業家は事業という手段を使い、社員は社命を通して会社に貢献、教育者は教育現場を通して
子弟の人間教育、それも社会人として役に立つ人間を造る、学問はそれと同時並行して進める、これが真の教育
然らば政治家は選ばれた者として大きくは国民の生命財産を守り、地域社会に於いては定めれた法の下で地域社会の生活環境を守りより改善してゆく滅私の精神、昔は門塀政治家と言って社会の為に家も屋敷も手放し「門と塀」だけが残ったと言う逸話もある、おとぎ話ではなく、高潔な政治家がいたものだ。
彼らの信念は物欲に囚われず「世の為、人の為」そして子々孫々に至るまで感謝され語り継がれる貢献を為す・・・これを政治家の規範とした、政治家というより篤志家である、故に篤志家が請われて政治家になった・・・政治家が今でも尊敬(畏敬)の対象に成っているのにはそのような歴史がある。
人間の価値は一過性のものではなく、その人の人格と功績は後世の人の評価により決まる、先達はその一点に生涯を賭けた・・・・
また、如何に偉大な成る人物も100年は生きれない、政治家として偉業を成し遂げた64歳の小泉も我が家の庭木を剪定するシルバーさんも寿命に於いては大差なく天は平等に時間を分配する、仕事も使命も完結する事は出来ない。
小泉純一郎の評価は現在でも二分しているが彼が本物の政治家か只の元気者かは彼亡き後の人が決める、生命は有限、功績は永遠、名を取るか、実を取るか、名を取れば後世に名を残し、実を取れば後世に汚名を残す・・悲しいかな此れが現実・メロドラマ。
 虎は死んで皮を残す・・・偉大なる人は功績と言う名の皮を残す、虎の様に見えても何も残さないのは張子の虎、人間は死んでから本物か偽者かが分るという。
・・・本日は晴天なり・・・