裸島哀歌


私が所属するシニアクラブ百働会の知人から西海市の実家が空き家になり活用法についての助言を求められ現地に赴く。
西海市西彼町字亀岳名宮之浦、寂れた漁師村の農家だった様だ。
見覚えが有る漁港、15年位前亡くなった竹馬の友と何回か来た場所であった、写真中央の無人島は彼が全盛時代に所有した「裸島」という名前の島で有る。
彼は東京八王子自宅マンションで独居死、葬儀に参列した私は遺族の方にお願いし分骨して貰い埋葬した島である、この場所から海路10分の距離で何ともやるせない思い出の島で有った。
知人の実家は百年の歳月を経た古民家であるが場所柄活用策は難しくとりあえず用件だけを預かって来た。
今日だけで二人バタバタと友人知人が逝去した、二人とも真面目すぎるほど真面目な男達であったが真面目な人間ほど早死にする、」可笑しな世の中で有る。
憎たらしい奴ほど長生きしてるようだが「イロハかるた」の中にある「憎まれ子、世に憚る」の通りで可笑しな社会、片頬でしか笑えない。
彼等にとって人生とは何だったのか、どんな気持ちで晩年を生きていたのか、聞いてみたかった。
百人居れば百通りの人生が有る事は自明の通り、私にもいつ死に神から招待状が来るかもしれない
最近は特に死期を感じる場面が有る、万物の霊長たる人間が「死期を予感できないことは無い」が私の持論。