杉岳山不動尊大聖寺「火渡り」神事


           佐賀県多久市郊外に杉岳山がある、山中に真言宗大聖寺が有り,折しも2月例祭で「火渡り」神事がある事を知り、護摩焼き加持祈祷から参観する機会を得た。
山伏装束の僧侶が六根清浄を唱えながら結界に入り魔除の儀から厳かに加持祈祷、今迄、見て来た映像とは異なり神聖な山寺で千年以上の伝統を継承して来た神事は先般、高千穂町で観賞した「神楽」と相通じる雰囲気が有り、心に沁みるものが有った。
神楽は神社、加持祈祷は真言密教の神事で般若心経を唱えながら勧行、最後は火渡りの神事で一般参観者も参加、各々が両手を合わせ祈願しながら裸足で歩く、友人と共に私も体験、何やら神通力を得たような気分になる、宗旨が異なる身ではあるが日本古来の神事を信仰の対象としてでなく、人生体験の一つとして体現する機会を受け感じた事は私にしか分からない心域。
むかし五島のカトリック教会で薫陶を受けた豪傑神父の某さんに「仏教の経典にも日本人として学び敬称せねばならぬ事が有る、キリスト教だけが決して良いわけではない」と説教された事を思い出し、改めて豪傑神父の偉大さを懐かしむ、今、この場に居ればどんなコメントを出したろうか。
考えてみれば社会に出て50有余年、人生の教導を受けた先賢の方々は今は亡く、四方に師を探しても見当がつかない。
遠いところに来てしまったものだと嘆いて仕方がなく、人生の奥義を自ら探求、発掘していかねばならぬ状況は極めて重たく険しい、人間の末路は誰しもそんな処だろうか、コラムを書いている内にそう思わざるを得ない気がしてきた・・・。