花は桜木 人は・・・・


 小雨の降る中を仕事で島原市に行ってきた、折しも桜前線の真っただ中で道中あちらこちらに「染井吉野」はたまた「山桜」が咲いていた、時間調整で千々石の「橘神社」に立ち寄り風情を楽しむ。
駐車場の真ん中で地元の人が「ドローン」を飛ばしていた、傍らに小さな祠が有り写真の子供地蔵が祀られていた、女の子らしく「おかっぱ」で澄まし顔の地蔵である、早逝した我が娘を不憫に思い親達が祀ったのだろう、眼前に広がる桜の花園との対比で人生の無常を感ぜずには居れない。
神社の入り口には日露戦争の勇士「橘 周大中佐」の立像が参観者を見下ろしている。
橘中佐は乃木希典、広瀬中佐と並び日露戦争の軍神と崇め祀られた人物、千々石町の出自である、今生きて居れば150〜155歳位。
軍国時代は「桜」を軍人精神に模して讃えてきた歴史があり、その精神性は今も継承されている
死んでしまえば「大も小」なく、まして「立場や名誉、財産」など関係無くなって了う。
齷齪するのは生きている時だけで自分が原因を作っている、開きなおれば「死んだら花見も出来ない」事を頭の真ん中に置き、最後だけでもきれいに生きて見せ、散り様の「ひらひら」も最後に残された者に対し、人生の教示として「マットウ」できれば、凡人であっても生きた証は建てられる。
       敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花  本居宣長