むかしの光、今もなお。


仕事を兼ねて熊本県から鹿児島、宮崎まで足を延ばした。
宿を人吉市に取り球磨川の水音を聞きながらしみじみと懐古に更ける、考えてみると初めてこの地を訪ねたのは22歳、長崎の老舗問屋に丁稚奉公、相性の有った同僚4人で赴き球磨川で遊泳、危うく友人の一人が急流に流され一命を失いかけた場面に遭遇、恐怖体験した苦い記憶が有る。
今回は家内の郷里でもあり同道、昔ながらの相良城を散策する、五島で暮らした少年時代、隣家に相良藩の藩主末裔の方が居られたのを思い出す、代々名前に「相良〇頼」を名乗り家訓と家系を守り通し五島では異色のご家族だった、何故五島に移住されたのか事情は聴く余地も無かったが今考えれば大きな事情が有っての事だろう。
私の結婚式にご参席を頂き祝辞を貰った又、私が臥薪嘗胆、不遇の時に書いた「克己心」をひどく褒めて貰った、多分筆跡よりは「克己心」の意気込みを評価してくれたのだろう、今思えばカタジケナク有り難い。
城址の中央部分に樹齢4,5百年の桧が植樹されており当時が偲ばれる、ご当主が末裔の城普請を想定し植樹したのだろう、大檜に気迫が籠っていた。
栄華を極めた相良城も今は昔乍、昔日の残照があちらこちらに燦燦ときらめいていた。
歴史に埋没された栄華を人は「むかしの光今いずこ・・・」と評するが聳える大樹、苔むす礎石、そして気高く聳える武者返しの城壁、栄華の残影は確実に存在する。
この城を作った職人たち、城郭を設計した士、相良城で暮らした城主と家臣団、奥女中の情念がひしと伝わって来る、不思議な感傷に襲われ乍、城跡の石段を下った。