地球の中で・・・


7月1日、先月76歳になってしまったが既に1か月、そして11か月すれば77歳の喜寿になる。
東京の長男が電話で親父は77歳までは生きたいと言っていたが、今は如何だと問われたがしっかりした記憶はない。
現在は時間的な事より自分のモチベーションの中でその時を委ねたいと思っている。
丁度、野球選手がバッターボックスで「ヨシ打ってやるぞ」の気迫が失せた時が潮時というが同じだろう。
明日は都知事選挙の審判が下る運命の日、当選すれば極楽で落れば煉獄、結果は全て自分に起因した事で選挙民には関係ない。
有線放送で地球の生命を各国の科学者が、十数億年後に惑星間の衝突が生じ地球は破壊される時が来る、アルマゲドン
宇宙から見れば地球もただの惑星、地球の生き物は人間も小動物も同じレベル、ただの生き物でしかない、若い時に薫陶を受けた「月光の里、故小松先生」の講話が懐かしい、私もこの年齢になり小松先生の宇宙観に最近到達できたような気がする。
そう考えれば死ぬ事は恐ろしくない、人間生まれた時から死への旅路に一直線、人生に幸不幸、貧富の差こそあれ「死」は平等に訪れる、名誉や富は一過性のもので究極何の意味も持たない。
私の祖母の事を今度ゆっくり想い出し書いてみたいと思う、自由奔放、親にも娘(母)にも無頓着、痛快な人生を全うしたスーパー婆さん、佐賀の「がばいバアちゃん」を遥かに越え、私が「ラオス」に関心を持ったのも彼女の遺伝子であろうか。
祖母は1930年代、禁酒時代のアメリカに何用で行ったか知らないが英語を覚えて帰国、太平洋戦争突入前に神戸~五島に棲みついた様だ。
焼酎が大好き、肝っ玉の大きい豪放磊落な婆さんだった、墓は五島の観音寺にある、今度帰島した時、線香あげに行こう。