いつか来た道
梅雨に入り家の中が全てジトジト不快指数が上昇する。
大阪では「G20」が昨日開かれ、今日閉会、議長国の安倍総理も無難に大役をこなし一定の成果を得たようだ。
各国宰相も帰国の道についたが母国に帰ればどの国にも国難レベルの難問山積し、ストレスが蓄積する事だろう。
寿命の満期が近づくに連れ、自分の中で原点を求めて追憶の旅に入ることが屡々ある、私の個性は誰の遺伝子を受けたのか、私の記憶の中に存在するのか、しないのか。
私の記憶の中に実在した人物なら分かり易いが、記憶の中に実在しない人間なら見当がつけられない。
若い頃、上司に商売で男気を出したら損するから、出したらあかん、と窘められたが
生来の性格から脱却できず事業で儲けた資金は「事業に吐出し」±0で終幕した。
私の祖母に「山口フジ」なる豪傑ばあさんが居た、生まれは神戸で明治時代にしてはモダンな女性、如何いう事情からか再婚した爺さんと1930年代、禁酒時代のアメリカに渡り英語を覚えて五島に帰って来た。
終戦後、英語をしゃべる婆さん(60代)の処に米兵が遊びに来ていたのを思い出す。
「山口フジ」さんと私の母は折り合いが悪かったようだ、母の中では子供を祖父母に預けて身勝手な行動をする「山口フジ」を許せない部分が有ったのだろう。
その反動かどうかは不明だが「フジ」さんには私も私の子供達も可愛がって貰った。
結果論からいえば「山口フジ」が五島に嫁ぎ、私の母が大阪から五島に疎開、父がサイパンで戦死、母は実母「山口フジ」婚家の離れに住み私達を育て上げた。
今、私の性格を解析、追及していけば「山口フジ」に行きつくような気がする、フジさんほど大胆ではないが「あまり深刻に考えず駆け出す」「豪気で陽気で短絡」等々。
この豪傑婆さん「山口フジ」が五島に居付いたお陰で今の私が有り、私から後に
続く5人の子供から11人の孫へ繋がる。
私の代で「五島」に住み着く事は骨になってもないが、孫達の誰かが何かの縁で五島に居を構える事が有るかも知れない、ひ孫の時代かも知れない。
父方のルーツは関西、真言宗総本山の高野山の麓、「河内長野」。
母方は関東、房総半島の九十九里ガ浜の漁師町「鳴浜村(町)」、奇しくも縁あって今ここに在している。