「安里ユンタ」の記憶


写真は沖縄県読谷村海浜
沖縄に行ったとき懐かしいメロディーに遭遇した、タクシーの運転手に聞いたら「安里ユンタ」と教えて呉れた。
終戦直後の五島、福江で土地の人達が祭りか何かの酒宴の時に歌って居たのを思い出す、「五島の勇士はおおつぼあきら・・・・さのよいよい・・・・・・(中略 忘)・・ヤレホレ体当たり、マタハァ〜レモ死んだら神様ヨ〜」
うすら覚えの歌詞を書いてみたが、多分戦時中から歌い継がれていたのだろう、若しかしたら大坪 明さんは特攻隊員で敵艦に体当たりして戦死した人かも知れない、「あさどやユンタ」の原点は久米島の古謡で今も歌い継がれているらしく全国区になったのは戦前にコロンビアレコードに吹き込まれたものが、各地で変え歌になり流行したのだろう・・・三線の弾き語りは琉球の歴史を感じさせ、何となく悲しい、「五島ユンタ」が流行った頃は母も兄も弟もみんな元気だった。
とうとう私も76歳になってしまった、元気で誕生日を迎える事が出来たのは芽出度い事と自答する、人生の勝利者を私的に定義すれば「元気で長命、自立で長命、併せて日に新た日に進む毎日」簡単なようで簡単ではない。
知人の長崎バス上田恵三氏が亡くなられた、私と同年 彼は2,3年前まで長崎商工会議所の会頭をした経済界の重鎮、時折お会いする時は元気であったが急逝された、サラリーマンからの大出世で「男子の本懐」は遂げたかと思うけど如何せん「早逝」である。
悔いも未練もなく人生を全うできたのか、お尋ねしたかったけど彼岸の人になってしまった。
私の人生航路も終着点に近い処で漂流してるのではなかろうか、私には分からないだけですぐそこまで来ているのかも知れない。
佐藤愛子さんのベストセラー「90歳、何がめでたい」に同感。私も「誕生日、何でめでたい」できれば回避したいこれが本音だがそうもいかない仕方がないので諦め、「笑門来福」を言い聞かせ、可笑しな横道に走らず、やり残しのない巻末にしよう、と心に誓う・・・・そちらの方が何となく楽しくやれそうだ。