今帰仁城址、なに思う。

写真は沖縄県 国頭 世界遺産今帰仁城跡 本土においても中世の城は城郭というより砦的構造で共通要素が有る、五島列島福江島倭寇遺跡も規模こそ違え石垣遺跡でイメージが重なる。
仕事を兼ね現地に赴く、沖縄は三度目、第一回は沖縄海洋博が開催される2,3年前,福岡の代理店に同行、2度目は昨年11月超特急の出張、合計36時間で長崎〜沖縄をエアーと車で走破。
琉球壷屋焼ひめゆりの塔首里城、エイサーの実演等々、結果として観光になったが沖縄の現状と現場を確認して来た。
沖縄の一等地15%が米軍基地で家屋構造は平たく頑丈に出来ている、軒先には魔よけの「シーサー」が設置され琉球の民族信仰化、私の目には「愛らしく」に見えた。
辺野古埋め立て現場を観たかったがパス、「ひめゆり」と合わせて「しろうめの塔」が近くに有った、案内人の説明によれば犠牲になった女学生の数では「ひめゆり」が多いが内容的には同じで「ひめゆり」の陰に隠れて可哀そうといつも献花されているらしい。
歴史の中にも不合理は実存、日当たりの良い歴史と真逆の歴史は何処にでも存在する。
我町でも「鷹島の殉教者」は今年400年目を迎えるが「26聖人殉教」と比べると無名に近い、西南の役田原坂の官軍戦死者と西郷軍の扱いは天地の開きがある、今帰仁の歴史も栄枯盛衰の中で最後は悲運にも戦いに敗れ一族は滅亡、城壁遺跡だけが残された。
古来、人間は無常を承知で地位と名誉、情欲に塗れて馬鹿げた諍いを繰り返す、私如き者でも理解できる人間宿命の儚さをどうして理解できないのか不思議で堪らない。
もしかしたら頭の良さや学問では到底説明できない「特定領域」が人間の業の中に病的に生まれて来るのか。

 夏草やつわものどもが夢のあと・・・今も昔も。