原爆資料館で学ぶ。

昼間の時間を使いNPOのボランテアをした、身体障害者に対する社会参加の機会を創出する為には、まず彼らに社会に飛び出し社会の勉強をさせねばならない。
そのような理由から副代表の吉岡氏が平和案内人で奉仕活動している「長崎原爆資料館
国立追悼祈念会館」に招待し平和の学習会をする。
被爆体験のある、副代表の説明は将に現場の証人・体験談でもある、私も身障者の人々と共に学びながら「原爆と平和問題」に今日まで他人事のように振る舞って来た事を痛悔す

特に浦上地区の惨状は「この世の地獄」であったらしい、敬虔なカトリック信者が暮らす浦上の地に神の恩恵は失く、悲情の実験爆弾が投下された。
瞬時に浦上天主堂は瓦礫と化し信者と共に廃墟、灰塵となるが、・・・その苦しみを超えて浦上教会は復活し毎日、アンゼラスの鐘を通して死者の追悼鎮魂と、生きる者には平和と希望を伝道する。
被爆死者の名簿、顔写真、状況など克明に追悼記念会館には保存されている、参加者の中に高齢者の方がおり、犠牲になった少年時代の友人を検索する、14歳の少年がパソコン上に現れた、少年の最後の言葉は「日本の為に戦ってください」であった、と紹介されていた、これ以上の重たい言葉があるであろうか、沈痛な気分になる。

身体障害者の皆さんに勉強させる機会を作る、と高邁な気分で計画した企画であったが
勉強させられたのはこちら側であった、参加者は計14名、新聞社も記事にしたいと同行
した、吉岡副代表、役員の方々の感謝したい。
身体協の参加者も喜んでくれ、久方に充実した大きな一日であった。