野下神父「金祝」祝賀会


連休の5月3日、家内の知人では有るが親しくさせて頂いている長崎カトリック教会「野下千年神父」の司祭叙階50年(金祝)祝賀会がサンプリエールであった。
長崎宗教者懇話会の代表だけに有名寺社の住職宮司それに数名の神父と面白い顔ぶれが揃っていた、諸宗教も対立の時代から融和の時代、互いに異なる立場を尊重し合い「世界平和を祈念し実現を目指す」趣旨のようである。
「長崎の教会群を世界遺産に・・・」推進運動も採択を目前に控えて教会関係者も元気。特に野下神父は政治手腕、企画行動力と俊才である、彼の周辺は面白く期待が持てる。

政治は対立軸を鮮明にし所属政党の勢力拡大を貪欲に求めていくが、過度の対立は国益を損なう、対立した民主は下野して当然であるが対外的には協調融和が第一。
日本国宰相の歴史認識が韓国中国政府に指摘されているが米国政府の中枢まで安倍総理日中韓の対立はアメリカの国益にならずとクレームをつけて来た、歴史認識問題は竹島尖閣問題と重ねられた部分もあり何処から何処までが正論なのか読めないが少なくとも関係する相手国の主張を無視しては外交は成立しない、複眼で正視し一時棚上げし歴史学者に委ねる考えがあってよい。
五島市長が特定検診を「自治会単位」で競争させ予防医学を周知、高騰する医療費削減と国保補助金の確保を視野に実施、賞金付き乍国保財政からすれば得策である、自治体間の知恵比べも大阪の影響からか変質しつつある、特筆すべきは武雄市の樋渡市長、自治体が前例や価値観を有る程度破棄し民間の価値観で行政サービスを打つ事がそのまま住民に対する行政サービスである、議会と行政の力量が問われる時代が来ている。
行政の首長も議会の議員も住民代表、いい加減な人間を代表にしたらその付けは広く地域の生活者に廻される事を承知すべきである。
それにしても野下神父は偉い・・・・