貴族院議員「故・三山近六」












23日AM虹ヶ丘病院5月度診察、PM西そのぎ商工会総会(議長役)懇親会。24日は終日NPO総会関係資料作成。
25日NPO総会、懇親会〜打ち上げ 完了。
26日AM神崎花園ボランテア PM「時津町手をつなぐ親の会」役員会、閉会後、時津町「サツキ愛好会」ツツジ盆栽観賞。
少々、重たく感じた日程で有ったが無難に消化した。
写真は神崎花園(旧・三山氏別邸)のボランテァ草刈作業。
故三山近六氏は貴族院議員まで為られた西彼杵郡の名士で同時に大村湾航路を開設した明治の実業家、平成の今でも浦郷に子孫の方がご健在で廃墟と化した別邸跡地を時津町に貸与町花「コスモス」に因み近隣住民の手で栽培されている。
ボランテァ作業の合間、三山近六氏の事を知る人も少ない現在だが閑静な港の傍に別邸を構え大尽然と胡坐をかき酒を酌んで居たであろう昔日の雄姿が偲ばれた、昔の名士は家系に誇りを持った「篤志家」が多く政治を食い物にするような輩は居なかった。
長与町の前町長「葉山氏」よりお礼と詫びの書状が届いた
胸中の胸中は知るよしも無いが選挙戦に敗れたとはいえ「爽やかな」文面であった、最善を尽くし敗れ果たして悔いは無いのか、無念の思いは無いのだろうか、立場は異なるが敗戦の憂き目に遭って退場を宣告された身は同じ。
実直で多大な実績を有し行政能力に長けた彼の何処に落ち度が有ったのか、惜しまれる敗選で、選挙民の見識を疑いたくなるような結末であった。
これからは「晴耕雨読」で地域に寄与して行きたいと言う
高邁な見識である・・・
・・・折を見て彼の家を訪ねて見たい。