多良山百景「方丈記」


行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。「方丈記前段」
夏山は渓流沿いが一番、友人と下見を兼ね先日から予定していた現場に赴く、多良山系の渓流沿い遊歩道で人気の「銀鈴コース」を歩いた。
上流〜下流に蛇行する片道4km程の中に深山幽谷、多彩な趣があり自然を堪能した。
山奥の川といえば五木の球磨川か、椎葉山系の五ケ瀬川しか知らなかったがスケールこそ違え名勝「轟峡」他無数の滝が渓流の中に在り、景観も変化に富み面白く加えて淵が有り、淀みが有り、渓流釣りも容易にできる。
渓流に沿って歩いている内に冒頭の文言を思い出した、よどみに浮かぶ・・・鎌倉時代から人間の営みは何歩も進んでいないと改めて想う、狭義若しかしたら時代の中で人間性は退化しているのではなかろうかと猜疑心さえ湧いてくる昨今の世相。
多良山系も山岳宗教の修験場として歴史があるようだ、山に霊気があり何か感じた。修験僧が身命を賭し山を巡りある時は果てたのかも知れない、臼杵仏の里豊後半島を彷彿させる雰囲気がある、片道4km山歩きで大汗を掻き渓流の小滝に打たれ禊をしたら、暑さと疲労で膨張した心身が急速冷却され身が引き締まった。
世の中にある人もすみか(住居)もまたかくの如し、若い人には説教したくない内容だが私利私欲に固執する欲張り親父に注入してやりたい一節である。

  写真は銀鈴コース「猪落としの滝」喜寿男に見える化