「赤福」エレジー

時間を見つけて年賀状を書き始めたが、今年は例年に無く年賀欠礼の葉書が多く来ていた事に気づいた、身辺でも見送ったが、彼方此方の友人知人から訃報が年末に掛けて届けられた・・・・考えて見れば皆が高齢化し当然の結果が出始めた丈の事である。
年に一度、年賀だけの知人もカナリいるが、果たして何時まで持つのかな、ヤヤもすると今年が最後か若しくは、もうお迎えが来たのでは疑心暗鬼に陥る時もある・・・
同級生達とは過去の一時期、学校を通して時間を共有しただけの事であるが無欲無心の友情が自然に涵養され今日まで続いている・・・
年末恒例の番組に「行く年・来る年」があり、様々な場面が放映される、行くも来たるも表裏一体ながら、人生の終幕が近づけば「逝く人は有っても、来る人は居ない」。
四日市に出張していた三男坊が伊勢の「赤福」を土産に持ってきた。
赤福」も賞味期限偽装事件以来、全国各地の店頭販売を自粛しナカナカ買うのが難しくなったからだ、思えばカンコロ餅とカスマキしか喰った事のない田舎出の少年(私)が初めて社内旅行で伊勢・勝浦に行き、「赤福」を食べた時の感動は例えようが無い「世の中にコンナ旨いモノが有ったのか・・・」そして勝浦の忘帰洞温泉、太平洋の黒潮が露天風呂の中まで打ち寄せて来る、あの時の感動は今でも鮮やかに蘇える。
悲しい哉、あの時、一緒に旅行した勤め先の人達は殆ど他界した、忘帰洞温泉は元気な内にもう一回泊って見たい宿の一つである。
アノ頃は徒手空拳ながら、意気衝天、昼夜を問わず、ギバッテいた、その割りに結果が出なかったのは多分、自分の不徳の致す所。
これから先は尚、不明乍、兎にも角にも、残された時間の中で悔いも未練も無い処まで昇華させる。
コレコソ、自分が自分に課した最大で最低の要求事項・・・である。