山は高きがゆえに貴からず・・・


11月の7日〜11日まで里山クラブの友人達と鳥取県の「大山」に登ってきた。
5月に九重の「大船」を登ったが「大山」の方が難易度が高くレベルは「上級」4時間少々で登頂したものの「天候は秋雨」頂上はガスで下界は「視界0」頂上からの絶景を期待したが不調
であったが苦労した分だけ達成感を享受、5名全員登頂できたのは細やかな喜びであった。
平常は標高4,5百mの里山級故1500m級になれば四苦八苦するが感動は高さに比例する。
いつも山裾から別名「伯耆富士」眺望していたので、達成感のみならず自分の体力度検証にもなり、今回は貴重な体験旅行にもなり得難い機会であった。
伯耆富士百名山に選定されメジャー級、「山は高きがゆえに・・・木あるを以って貴しとなす」。
昔、漢文の授業で習った漢文を思い出した、山を人に例えた比喩のようである、山の樹木を人の場合は「知と徳」に例えている。
自然の山は高い丈で充分値打ちがある、何故なら登山者に勇気と一歩一歩の努力の成果を示して呉れる、やればできる自信と挑戦することの意義を教えてくれる。
私より若い友人達に5年後、10年後の健康力を確保する為に今から下半身強化に邁進せよと助言している、身体の基幹は足腰にあるである。
老いて自立した生活が出来なければ惨めな思いをするのは自分であり、家族にも世話を掛け粗大ごみ同等になってしまう。
自分を愛する気持ち、家族が大切なら生きてる限り自分の事は自分でする、自分で出来なくなった時が自分的には半死状態だ、といって脅かしている。