猫の目の不思議


この半年間、JICA草の根技術支援事業提案書作りに明け暮れ神経を消耗している。
2年間の心労が10月からの審査で問われる事になる「待尽力天命」の心境だが相手国の関係者は一刻千秋の想いで待機、全身全霊、叡智を絞り出し難関突破を自分に期待している。
疲れた心身を癒してくれるのは子連れで出入りする「近所の猫たち」甘えた猫撫で声で附かず離れずの距離を取り生後2,3週間の猫達がすり寄ってくる、猫達の目には不思議な表情が有り千差万別、何とも表現しがたく只々神秘的である。
ねこ語が分かれば会話がができ面白いのだが、と残念に思う。
夏目漱石も「半分うつ」で引きこもり症候群だったらしいが、ある日突然侵入してきた「猫」に魂を奪われ小説の主人公にしたところ読者に受け猫力で開運したとある、漱石は猫語を理解したのだろうか。
かわいらしい猫達だが猫にまつわる表現は全て良くない、猫は人間にかなり貢献しており、猫に対する侮辱も甚だしく猫が知ったら猫パンチが飛んでくる。
冷たく光る目で人を見るのは人間の本質を透視し猜疑心を持っているのではないか。

人間は表情と内心と行為を使い分ける不思議で不可解な生き物、動物は内心と行動、表情が一致する単純明快な生き物、中でも猫は格別、目の表情を使い分け語りかける、庭の番犬カンタローが居なくなり猫たちが庭を占領、走り回っている。
生きとし生けるもの「来るものは拒ばず、去るものは追わず」猫も人も同格これが私の信条。
今日は肩がカチカチに固まってしまった。