「 時は命なり」   7月29日


私の寿命も日本人の平均に照らせば後4年半という事になる、この20年間、選挙に明け暮れ4年刻みの生き方をしてきたので4年スパンで数えれば後1期で終末を迎える事になる。
格言に「 The time is money]がある、商売人の世界では金言かも知れないが私は40歳頃から「金より命、命の一分を金には代えられない」の信条を貫いてきた、そんな生き方で闊歩して来たから物理的には損もしたが精神的には得たものは多大、掛け替えのない自分の人生、命という時間は買う事も借りる事も他人と交換する事もできない。
人間の寿命は概ね平均に近い処で終わる、多少の差はあつても大した差ではない。
賢明な人は残された時間の中で行程表を作り、為すべき終活をし最後の旅に出るが、私の場合は約束事を決め過ぎ4,5年では足りない、歳月は人を待たず、私をも待って呉れないのでどう処理するかこれからが頭の使い処である。
それみしても余命幾許もない年寄りが年齢を忘れて「俺がお前が」と我執する姿程見苦しい事はない、そんな輩は如何したわけか政治家に多く分別を疑いたくなるが、厚顔無恥には勝てない、これも現実。本来なら国民の選良たる政治家こそ思慮、分別に長け模範を示して欲しいのだが、現実は真逆。
逆さに考えれば手持ちの時間が少ないという事は開き直りが出来る立場であり、勝手自在に生きれる強みを持てる身分、あまり先の事を考えず生きていける気楽さは多分「喜寿」位からだろうか。
喜寿」とはそんな身分を称してつけられたのかもしれない…(^^♪。
写真は「ロンドンの時計塔(ビッグベン)」