脱皮できない蝉は・・・


昨日も空蝉の事を少し書いたけど、庭の片隅に脱皮出来ず死んだ空蝉の死骸が有った、仲間数十匹は抜け殻だけ残し何処かに飛んで行ったのだろうが、死骸は無残、憐れを感じる。
空蝉が地上に出るという事は脱皮で命がけの変身し、地中から空中に移動し最後の「お勤め」後寿命を全う。

「組織は時代と共に変化させ、進化成長させなければ自滅する」脱皮し成長する空蝉の姿に習い私自身の生きる姿勢として今日まで命を燃やしてきたが、恒常的に変化し進化は出来たのかと自問すれば出来たようでも有り、中途半端、不調であつたとも認めざるをえない。
理屈の上では簡単でも現実に改革、変革を行う事は大変なエネルギーと自己犠牲が伴い、昨日の友を失い、今日の敵にする覚悟を要する事柄が多い、勇気と行動が求められる。
反面、変身、変容し退化するリスクも潜在しそれなりの覚悟が必要。

振り返って我が国の進化度を考える時、政治力、経済力、自然環境、社会環境、民力度、人間力全てにおいて向上しているとは思えない、「老いる経済大国」特筆すべきは選良達の質の低下だろう、個々の精神面、倫理観においても退化傾向は否めない。

「脱皮できない空蝉は死ぬ」我国はすべての面において「自滅の道」へ直進しているようだ。
落ちる処まで落ちれば気が付く事だろうが・・・その時は「遅きに失した」事になる。